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トルコの天空遺跡《サガラッソス》 

Columnトルコの天空遺跡《サガラッソス》 

 エイルディル湖の南西に位置するサガラッソスは、アナトリアの主要都市として、ヒッタイト文書にもその名が見られるようにヘレニズム時代よりもさらに古くから栄えた古代都市です。その豊かさが災いしてアレクサンダー大王に征服されたりもしましたが紀元前1世紀後半にローマに組み込まれ、帝政ローマ時代、特に五賢帝時代に最盛期を迎えました。その繁栄が多くの人々を惹きつけ、人口5000人の都市に9000人収容のローマ劇場が建設されました。標高1700mのトルコ語で「白い山」を意味するアクダーという岩山の斜面に広がる都市で、防衛上の理由とはいえ、なぜこんなに高い場所に町を造り、しかもそれが大いに繁栄したのか、現在も多くの謎が解明されておりません。

 ビザンチン時代、7世紀の大地震で打撃を受けて住民は他の町に移住しました。1706年に再発見されるまで長らく土に埋もれていましたが、1990年から本格的な発掘が始まりました。サガラッソスの遺跡はエフェソスに匹敵する大規模な遺跡で、ヘレニズム時代、ローマ時代の建築物が良い保存状態で残されています。少し殺風景な岩山には不釣合いな壮大な遺構が立ち並んでいます。

 もともと、エフェソス、アフロディシャスと並ぶトルコにおける三大遺跡に数え上げられていましたが丘の斜面に埋もれた遺跡が広く散らばり、発掘にも相当の時間を要していたため永らく観光化されませんでした。2010年に「最後の五賢帝」として名高いマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝(在位161~180年)が建立させた、7種の大理石に彩られた高さ9m、幅28mの巨大なニンフェウム(「泉の女神ニンフの神殿」の意味から噴水を伴う「泉水堂」のこと)が13年間の修復を経て完成し、使われていた当時同様に水も再び泉から噴き出し、1800年ぶりにその荘厳な勇姿を私たちに見せてくれるようになりました。

(ニンフェウム)

 発掘も大分進み、ニンフェウム以外にもこの古代都市の様子が次第にわかってきました。遺跡は大きく2つのパートに分けられます 。下 の 広 場( ロウアー・アゴラ)と上の広場(アッパー・アゴラ)です。ロウアー・アゴラには紀元180年頃に建設された巨大なローマ浴場があります。そこから階段を下りるとアントニウス・ピウス神殿に出ます。アッパー・アゴラには、アゴラの正面にマルクス・アウレリウスのニンフェウム(泉水堂)が、その向かって右手には古代ギリシャ時代のフォーラムがあり、その上の丘にはヘレニズム後期の噴水邸宅や床にモザイクが残るローマ時代の図書館があります。そしてその近くには、地震で座席の一部は崩れてしまっていますが、9000席の大ローマ劇場が広がっています。ここは標高1500m。世界で一番高い場所にあるローマ劇場です。他にも多くの装飾が施された墓、市議会場、寺院などか多数点在しています。

(ローマ劇場)

 サガラッソスが近年、世界的な注目を集めたのは、ニンフェウムを造らせたマルクス・アウレリウス帝の大理石像の発見です。ロウアー・アゴラのローマ浴場跡から発掘されました。突き出た眼球が特徴とされる頭部、地球を模した球体を握った右腕、鎧で覆われた足など全長は4.5mになると考えられています。以前にもサガラッソスではハドリアヌス帝(在位117~138年)やヘラクレス、ゼウス、アテナ、ポセイドンなど古代ギリシャの神々の像も発見されています。サガラッソスで発掘された貴重な出土品の数々は近郊のブルドゥル考古学博物館に展示されています。

(アッパー・アゴラ)

 サガラッソスはユネスコの世界遺産暫定リストに登録されました。観光客がまだほとんど見られず、“つわものどもが夢のあと”の雰囲気が味わえる今のうちに是非お出かけいただきたい、「空がとっても近い!」大遺跡です。

 

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