現在のテルメズから西に20km離れたカンプィルテパは、古代においてインドと中央アジア・バクトリアを結ぶルートがアムダリヤ河を越える地点に造られた要塞都市です。カンプルテパ、またはカンピルテペとも記載します。
紀元前4世紀、中央アジアに侵攻したアレキサンダー大王もここで大河アムダリヤを渡りました。ここから彼は、後に「アレキサンダーの道」として知られるようになったルートを通り、インドへと向かいます。
大王はアムダリヤ河越えの場所に都市を建設し、それを『アレキサンドリア・オクシアーナ(オクサスのアレキサンドリア)』と名付けたとされていますが、一部の研究者によるとそれがこのカンプィルテパだともされています。オクサスは、アムダリヤ河の古代名です(中国では烏滸河[おこが]と呼ばれました)。
近年、ウズベキスタンの考古学者たちは、インド・クシャン朝時代に起源を持つシタデル(要塞)の基礎構造のさらに下から、古代ギリシャの伝統的様式で造られた巨大な城壁や、当時の硬貨や陶器を含む文化層[遺物包含層]を発掘しています。
住民たちは幾度も街を再建することはせずに、アムダリヤ河の大洪水により一斉に街を放棄したため、カンプィルテパは他の古代都市と異なり、数メートルの高さで土の層に覆われ、後の時代の生活層が形成されませんでした。そのおかげで考古学者たちは、紀元前2世紀の初頭に遡るクシャン朝時代の住居群のさらに下に、アレキサンダー時代の都市の輪郭を発掘することに成功しました。
20ヘクタールに及ぶ発掘の結果、中央アジアにおける都市集住、シタデルなど軍備防衛、集積・交易市場など複雑な都市の形成が中世の遥か以前に成されたことが証明されました。住宅地は幅1.5mから2.2mの 通りで区分され、全ての通りには邸宅の他に倉庫、公共の宗教施設、公民館などが配置されていました。また、これによりシルクロード時代の西トルキスタンの都市設計のモデルが古代の伝統にルーツがあることも証明されました。
発掘されたエジプト・ペルシャ・レバノン・インド・中国からの文物は外国との大規模な文化交流と交易を示しており、特にパルティア語が刻まれた印章、青銅製の聖杯、女性や鳥が描かれた象牙の櫛、コインなどが学者たちの注目を集めています。
カンプィルテパの発掘とアムダリヤ河北岸の歴史文化的研究の結果、古代ゾロアスター教の水の女神・アナーヒターは、アムダリヤ河の象徴【カラクム・キジルクム両砂漠における大河アムダリヤ信仰】であると認められるようになりました。
アナーヒターは、のちに西方世界でアッシリアのイシュタル神や、ギリシャの愛と美の女神アフロディーテと習合し、特にエフェソスで崇拝された女神アルテミスとは同一視されるようになりました。
一方、東方世界では、ヒンドゥー教の水と豊穣の女神サラスヴァティーや、我々日本人に仏教を身近に感じさせてくれる、水や川に関係の深い観世音菩薩や弁財天の起源となります。
カンプィルテパ発掘の貢献により、アムダリヤ信仰と仏教の菩薩や天部の習合など、大乗教がいかに変容を遂げていったか、大乗仏教北伝の謎が今、少しずつ解き明かされつつあります。