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アルジェリア紀行~世界遺産ムザブの谷と望郷アルジェの旅 11日間

ENDアルジェリア紀行~世界遺産ムザブの谷と望郷アルジェの旅 11日間

※こちらのツアーの募集は終了しました。

 

★6つの世界遺産を中心に巡る、アルジェリア満喫の旅です。

★移動距離の長いムザブの谷へは往復航空機を利用することで、快適な旅行が楽しめます。

★フランス風の街・コンスタンティーヌ、オアシス都市ガルダイア、首都アルジェにそれぞれ
 連泊です。

★アルジェリアのツアーでも訪れる機会の少ないローマ遺跡が残るティディス、ゲルマに加え、
独特な形の巨大なトラバーチンが見事なハマム・デバッホへもご案内します。

■アルジェリアの6つの世界遺産を巡ります■

.アルジェのカスバ・・・映画「望郷」の舞台、海賊「赤髯」が礎を築いたイスラム城塞地区は、エキゾチックな迷路の世界です。

2.ムザブの谷・・・現代のキュービズムに影響を与えた、パステルカラーの立方体住宅が密集する11世紀の5つの町は異次元の世界のようなイスラムの聖地です。

3.ティムガットの考古遺跡・・・良い保存状態で発見されたモザイクが美しく「アフリカのポンペイ」と呼ばれるトラヤヌス帝時代のローマ植民都市です。きめ細かい浮彫りが街の繁 栄を伝えています。

4.ジェミラの考古遺跡・・・そのローマ風の美しさにアラブ人たちも魅せられたカラカラ帝の都市遺跡で、ローマ風の大通りなどが残っています。林立する列柱は壮観です。

5.要塞都市ベニ・ハマッド・・・イラク産のタイルで飾られていた盆地の斜面に広がる中世の大交易地跡で、アルジェリア第2の大きさのモスクがありました。モロッコやスペインのいくつかのモスクのミナレットはここのスタイルを踏襲しました。

6.ティパサの考古遺跡・・・アルジェリア最大のキリスト教聖堂が残るカルタゴ都市遺跡で、北アフリカで最も重要なキリスト教徒居住区でした。

 ★ツアースケジュール・宿泊地・見どころなどの詳細はこちら

 

アルジェのカスバ

ティムガット

ティムガット

ティムガット

トラヤヌス帝の凱旋門(ティムガット)

ティムガットのモザイク博物館

ジェミラ

ジェミラ

ジェミラ

ジェミラ

ジェミラ

ジェミラ

ジェミラ

ジェミラ

ベニ・ハマッドの大ミナレット

モーリタニア王家の墓

ティパサ

ティパサ

 

トゥーグルート

アトラス山脈・オーフィー村のベルベル人居住区

 

橋の町 コンスタンティーヌ

 元々、サリム・バティムの名で呼ばれていたヌミディア人の集落は、ギリシャの入植民の助けを借りて、紀元前3世紀頃に都市を意味するキルタと名称を変え、ヌミディア王国の首都となりました。その後、キルタは北アフリカでも有数の大都市となり、1万人以上の騎兵隊を持つまでになりました。しかし、ローマ帝国との戦争に敗れたヌミディア王国は、ローマ帝国に支配されましたが、立地的な重要さからローマ帝国の北アフリカ諸州の中でも特別な都市と考えられていました。その後、キルタは戦争によって莫大な被害を受けたので、313年に新しく再建され、皇帝コンスタンティヌス1世の名をとって「コンスタンティーヌ」という名になりました。

 のちにヴァンダル族、東ローマ帝国、アラブ人、オスマントルコ帝国に支配されていきますが、今では中世の町並みを残す古都として知られています。また、地形的な理由から4本の釣り橋が架かり、その中でも最も有名なシディ・ムシダ橋は、幅6メートル、長さ160メートル、高さは175メートルもある非常に美しい橋です。街のいたる所に撮影ポイントがあるので、写真好きな方にもおすすめの町です。

 

 

世界遺産ムザブの谷

~ キュビズム風の建築物で埋め尽くされた砂漠のオアシス

 アルジェから南へ約450km、サハラ砂漠北部のムザブの谷では、ベージュや象牙色、明るいトルコブルーに塗られた立方体の家々が、谷の中の5つの小高い丘を埋め尽くしています。夕暮れ時には、青く塗られた外壁がより青みを深めて幻想性を増してきます。そんなムザブを愛した西欧人の代表がスイス生まれの建築家ル・コンビュジエです。彼はインスピレーションが枯渇するとここを訪れました。キュビズム(立体主義)を建築に取り入れ、独自の建築を試みた彼の発想の原点は、このムザブのユニークな風景でした。

 世界遺産に指定されたパステルカラーの5つの村、ガルダイア、エルアーティフ、プーヌーラ、ベニ・イスグェン、メリカを築いたのはベルベル人の一部族、ムザブ族でした。『コーラン』を厳格に解釈し、「イスラム教の清教徒」と言われた彼らは、イスラム世界では異端とされていました。主流派から迫害を受けた彼らは信仰の場を求め、流浪のすえに11世紀初め、この地にたどりついたと言われています。

 年間降水量が200mmという不毛で岩だらけの涸れ谷を、彼らは少しずつオアシスへと変えていき、井戸を多数掘り、高度な地下灌漑水路を通してナツメヤシなどの植林をしました。異民族や主流派の襲撃に備えて、要塞を築き、その中心にモスクを建設。住宅はモスクの周囲に同心円状に建てられ、家族数によって大きさの差はあるものの、平等の精神から、建材やデザインを統一。そして、どの家からもモスクのミナレットが見えるように街が造られました。ル・コルビュジエが愛したムザブの村々は、計算され尽くした中世の計画都市でした。 一つの村が飽和状態になると、隣の丘に別の村が造られました。こうして5つの村が建設され、さらに郊外にベリアーヌ、ゲラーラの2つの村が築かれました。

 各村は曲がりくねった階段状の路地が迷路のように結ばれ要塞化しています。アルジェリアの多くの都市が侵入者たちの影響を受けたのに対し、ムザブでは他からの干渉を受けない、伝統的なしきたりを守る厳格な生活が残されました。

[イメージ]


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