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ソンクラーン[水かけ祭り]

Columnソンクラーン[水かけ祭り]

4月中旬の13日から15日の3日間がソンクラーンと呼ばれる南伝上座部仏教のお正月で、別名「水掛け祭り」とも呼ばれています。そこには、雷と雨の神・インドラ神(帝釈天)の色濃い影響がみてとれます。

釈尊を生んだ7日後に亡くなった摩耶夫人が転生した天界の第三十二天が忉利天で、須弥山の頂上にあたります。悟りをひらいた釈迦がその報告に昇り、夫人に3か月の説法を施したのち、梯子に依って僧伽施国の地[僧伽舎](サンカーシャ)に降りられたとされるのがサンカーシャの奇跡の説話です。その降下の場面で釈迦をエスコートするのが、須弥山の住人であるインドラ神(帝釈天)とブラフマー神(梵天)です。その様が仏教美術の好題材のひとつとなっている「三道宝階」で、真ん中が釈迦。右で天蓋を掲げているのが帝釈天。帝釈天は銅の梯子で降りて来たとされ、釈迦の左が梵天です。梵天は銀の梯子で降りて来たとされています。釈迦の梯子は七つの宝石で飾られた七宝の梯子だったとされます。釈迦の降下に従い、梯子は上から消えていったが、最後の7段だけは消えずに残ったとされます。

太古の時代のあるとき、天上界でインドラ神(帝釈天)ブラフマン神(梵天)は、仏法について口論になりました。インドラ神はこの論争に勝ち、ブラフマン神の首を手にしましたが、この首が高熱を発し燃えあがってしまいました。首を大海に投ずれば、海の水は干上がってしまい、陸に放り出せば大地はたちどころに干からびてしまいます。致し方なくブラフマン神の7人の娘たちに首のお守りを命じ、何時いかなる時もこの首をささげ持ち、決して手から放してはならないと命じました。7人の娘たちは1年ごとに交代でこの役を引き受け、毎年元旦になると燃えたぎるように熱い首に水をかけてから次の当番に引き渡すことになったとされています。また、ブラフマー神の首から滴り落ちる血を洗い流すために、水を掛けたという説話もあります。

こうして、仏教の雷神インドラ神と水かけが結び付き、ソンクラーンの日に水掛けをする風習が始まったと考えられます。ソンクラーンでは、多くの寺院の庭や河原に仏塔に模した砂山が築かれます。これはまさしくインドラ神が暮らす須弥山を表しています。

S4月中旬は、東南アジアの国々では、乾季から雨季へと気候が変わるタイミングにあたり、雨季直前の暑さのピーク時に涼むために水をかけるという側面や、雨季を迎えふんだんに水が使えるようになる喜び。そして旧年の汚れを洗い流すなど様々な要素が絡み合って、現在のスタイルができあがったと思われています。

[写真:アユタヤ]