( 運河の町・揚州)
※こちらのツアーの募集は終了しました。
2019年3月3日(日)発~3月7日(木)着 5日間…¥199,800
一人部屋利用追加料金 ¥28,000
AA
~ 梅花の季節に秦淮に泊し、煙花三月 揚州に下ります。
中国三大ストーブと呼ばれる中国で最も暑い都市・南京観光のベストシーズンです。南京に4連泊です。 ~
獅子山閲江楼
新瑠璃塔(中世世界の七不思議のひとつ)
夫子廟
AAA
■『天下第一の梅山』 南京・梅花山で、3万本超の梅の花をご覧いただきます。
梅花山(3月上旬:イメージ)
梅花山(3月上旬:イメージ)
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■古くから『春牛首』と称えられる自然景観の美しい仏教名山・牛首山(天闕山)にて、2008年に発掘され世界を驚かす大発見となった釈迦の本物の頭蓋骨「仏頂真骨」を納めた金色に輝く仏頂宮を参観いたします。
牛首山
牛首山仏頂宮
AAA
■明清代の建物が並ぶ南京夫子廟と夜の秦淮河を画舫という船で巡り、昔ながらの南京の趣と輝く幻の如き秦淮河の夜を楽します。
夜の秦淮河
夜の秦淮河
秦淮河の夜を楽しむ
中国歴史文化名河第一と称される秦淮河河畔(長江支流)の水景は、南京の昔ながらの趣が残り、夜になると一層綺麗に見えてきます。唐の詩人杜牧は「煙は寒水を籠め、月は沙を籠む。夜秦淮に泊して、酒家に近し」と名文で秦淮河の夜景を描きました。秦淮河巡りに使う船は画舫と呼ばれ、インパクトのある紅灯篭で装飾されています。
AAA
■歴史と風情がしっかりと保存されている京杭大運河の町・揚州(旧広陵)を「煙花三月」の季節に訪れます。
痩西湖
痩西湖五亭橋
鑑真記念堂(揚州)
揚州(イメージ)
「煙花三月 揚州に下る」
運河の町・揚州は、2500年もの歴史を持つ古都[旧名:広陵]で、江蘇省中部の京杭大運河と長江(揚子江)が合流する場所に位置しています。歴史上、何度も中国で最も繁栄した都市のひとつに数えられ、豊かな歴史文化を有しています。特に明王朝時代の都市構成を基礎として発展を遂げてきた横丁通りは、古く小ぢんまりとした港が沢山あり、歴史と風情がしっかりと保存されています。霞が棚引き花が咲いている三月に南京から揚州へと下ります。
AAAAAAA(李白「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」)。
李白の時代の旧暦3月はもちろん今の4月ではありますが、現在の江蘇省は当時より1ヶ月ほど夏が早くなっていますので、ちょうどこの季節に該当します。
AAA
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■明王朝の都・南京を代表する料理『秦淮八絶』を平民版ではなく、精細版でご賞味いただきます。
【一絶:雨花茶、二絶:鴨油酥焼餅、六絶:小焼麦、七絶:牛肉餃子、八絶:梅花蒸餅ほか】
秦淮八絶[精細版]
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■有名な揚州炒飯や蟹粉獅子頭だけでなく、翡翠シューマイや三丁包など『揚州飲茶』をお召し上がりいただきます。
揚州・蟹粉獅子頭(イメージ)
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■馬鞍山にて、項羽最期の地、“捲土重来”の語源となった烏江亭と覇王墓も見学いたします。
覇王祠
“捲土重来”烏江亭
楚漢戦争最後の決戦・垓下の戦いに敗れた項羽は敵の包囲を破り、わずかの手兵と長江の渡し場・烏江(安徽省馬鞍市和県)まで落ちのびてきました。項羽はここで亭長(村長)から、ここでは自分しか船を持っていないので漢軍は河を渡れないから、ぜひ長江を渡り江東で王となり、“捲(巻)土重来”、力を蓄えて土を巻きがあげる勢いで戻ってこいと、再挙を期するよう勧められたものの、昔この河を渡るときに連れてきた江東の子弟八千人を失って何の面目があろうかとその申し出を断り、漢軍の目の前で自ら首をはね自決しました。それから千年の後、晩唐の詩人杜牧は長江と烏江亭を見下ろす高台を訪れて、項羽の死を惜しみつつ、判官贔屓もあってか、もしも項羽が亭長の勧めに応じて長江を渡っていたならばと想像しつつ、その場に書き付けた七言絶句が「題烏江亭」です。(題とは壁などに漢詩を書くこと。)
「烏江亭に題す」杜牧 (839年)
勝敗は兵家も事 期せず 羞を包み 恥を忍ぶは 是れ男児
江東の子弟 才俊多し 捲土重来 未だ知るべからず
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