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古代カンボジア《扶南国》の都~アンコールボレイ

Column古代カンボジア《扶南国》の都~アンコールボレイ

歴史上に現れるカンボジア最初の国は一般にはフナン(扶南国)[1世紀~6世紀]とされています。

太古、現在のカンボジア中央部以南やベトナムのメコンデルタ地域は、小さな山脈が造る半島や小高い丘の島々から成る、湾をなす海でした。その頃から人々はこの島々の丘の上に暮らしてきました。

この大きな湾にメコン河が毎年膨大な量の土砂を運び込み、少しずつ堆積し徐々に陸地が形成されてきました。こうして現在のカンボジア南部タケオ州にできた大きな島がコクトローク島と呼ばれ、その島の名が、カンボジア最初の国名「コクトローク」となります。

耕作地ができても、それでもなお人々は丘の上や麓に暮らし続けました。なぜなら新しくできた田畑も、雨期には水に沈んでしまうからです。

これは今のカンボジアでも変わりません。どこまでがメコン河でどこからが土地なのか、どこまでがトンレサップ湖で、どこからが田んぼなのか、雨期にはわからなくなります。

この丘に暮らしていたカンボジア人たちは自分たちの国「コクトローク国」を通称で「ノコール・プナン」呼んでいました。ノコールは小さな国、プナンはプノンペンのプノンと同じで、山とか丘という意味です。古代の中国人は、ノコールは意訳し、プナンは音訳し、「扶南国」と書き記しました。

扶南国が6世紀に都を置いた場所がカンボジア南部の町タ・ケオから東へ20km行ったところにあるアンコールボレイです。

タ・ケオの港からスピードボートに乗り、青空の下、風を切ること約40分。スピードボートに手を振る人達に私たちも手を振りかえしながら、人なつっこい子供たちが遊ぶ小さな村しか今は残っていない、アンコールボレイの聖山プノンダーに着きます。観光地ではありえないのんびりした雰囲気が、私たちを出迎えてくれます。

小さな丘を登りはじめると、カンボジア(扶南)の建国説話~【紀元1世紀に女王国だったカンボジアにインドのバラモンが軍を率いてやってきて、戦争の結果、インド軍が勝利を収め、カンボジア女王を娶ったバラモンはこの地の王として即位し、コクトローク国(扶南国)が始まったというもので、かなり重要な史実を含んでいると思われます。】~の女王リューエイが暮らしていた洞穴があります。

説話の真偽は確かめようがありませんが、この場所でブレンダ様式(扶南時代のもの)の素晴らしい神像が発見され、パリのギメ美術館に展示されていることや、多くのカンボジア人がこの説話を信じていることは確かです。

2000年の時を越え、今なお原形をとどめる石造りの洞穴は私たちにカンボジア創成期の女王の暮らしぶりを想像させてくれます。

丘の上には、3世紀に砂岩で造られ、6世紀にレンガ造りで再建されて寺院が聳え立っています。西に連なるもう一つの丘の中腹にはインド人バラモンが建立したヒンズー教寺院アスラム・マハルセイがあり、御堂の中にはかつてリンガが置かれていた所に2000年前から変わらず、泉が流れています。清めの水として今もカンボジア人に信仰されています。