Fin.マルタの魅力 満喫の旅 9日間

Fin.マルタの魅力 満喫の旅 9日間
↑ マルサシュロック[写真提供:マルタ観光局]

※こちらのツアーの募集は終了いたしました。

 2020年3月6日(金)発~3月14日(土)着   9日間…¥378,000

一人部屋利用追加料金 ¥69,000
(羽田発着は8日間:¥373,000/ 一人部屋利用追加料金¥67,000)

■マルタ島の5つ星ホテルに5連泊です。

■神秘の地下神殿『ハイポジウム』を見学いたします。

■マルタの美食をいろいろとお楽しみください。

■8名様からの催行です。

 ★ツアースケジュール・宿泊地・見どころなどの詳細はこちら

神秘の地下神殿 ハイポジウム Hal Saflieni Hypogeum

岩盤を掘って造られた巨石地下神殿ハイポジウムは、首都ヴァレッタ近郊に位置し、三層の大小様々な石室から成り立っております。1902年、偶然大工職人に発見されたというこの三層の地下神殿の建設年代は、最上部は紀元前3600年~3300年、中部は紀元前3300年~3000年、そして最下總は紀元前3150年~2500年に分けられます。

調査の結果、神殿内で7000体の人骨、大量の素焼きの壺、ビーズ、お守り、立像、そして赤い酸化鉄で描かれた曲線や渦巻模様が発見されました。「眠れる貴婦人(マルタ・ヴィーナス)」と呼ばれる地母神の石像も発見されたことから、墓地を兼ねた神殿なのか、または後の時代に墓所としても利用されるようになった神殿なのかは未だはっきりしておりません。本来は宗教上の聖域として作られたと考えられていて、先史時代の内に共同地下納骨堂に転用されたとの見解が主流です。

この偉大な地下神殿を保護するため、温度と湿度が厳しく管理されており、二酸化炭素が神殿に悪影響を及ぼすことが危惧されて、一度の観光人数が10名と決められています。そのため、今回のツアーでもグループを2つに分けて見学いたします。この機会にぜひご見学ください。は、マルタ世界で唯一の先史時代の地下墳墓であることから、『ハル・サフリエニの地下墳墓』の名称で世界遺産に登録され、マルタの切手に使われています。 

「眠れる貴婦人」(国立考古学博物館)

光と影の巨匠カラヴァッジオ Michelangelo Merisi da Caravaggio

バロック絵画の先駆者カラヴァッジオは、ルネサンス以降の絵画に大きな影響を与えた画家で、彼の画法はルーベンス、ベラスケス、レンブラントといった17世紀を代表する画家たちに受け継がれ、のちにバロック絵画として開花していきます。写実手法、強烈な明暗法を武器とした美術界の革命児でした。

マルタの首都ヴァレッタにある聖ヨハネ大聖堂付属の美術館には輝かしい大作『洗礼者ヨハネの斬首』が展示されており、修復の成果により美術書の黄ばんだイメージが吹き飛んでしまうほどの迫力で、洗礼者ヨハネは上方からの光に白い肌を晒し、その血の鮮明な赤、陰影の明確なコントラストがさらに印象的な作品として復活しました。この作品の他にも、カラヴァッジオのもう一つの名画『執筆する聖ヒエロニムス』もご覧いただけます。

『洗礼者ヨハネの斬首』
聖ヨハネ大聖堂

『執筆する聖ヒエロニムス』

世界遺産 ヴァレッタ市街 Valletta

マルタ共和国の首都ヴァレッタは、1565年、マルタがトルコ軍に包囲されたグレートシージ(大包囲戦)の後、フランス人のヨハネ騎士団長ジョン・ド・ラ・ヴァレッドにより建設されました。街の名前は彼に由来します。ヨーロッパ屈指の天然港グランドハーバーを一望の下に見渡せるヴァレッタは「宮殿の町」とも呼ばれ、考古学、歴史、芸術、文化の豊かな遺産都市です。街並み全てが世界文化遺産に登録されています。

旧市街の全景がご覧いただけるハーバークルーズにもご案内いたします。

騎士団長の宮殿 Grand Masters Palace

現在は大統領や政府の施設として使用されていますが、往時には騎士団長がここから騎士団を統率しました。見学できる内部にはペレロス騎士団長が私費を投じて織らせたアフリカ、インドの風物をみせるタペストリーやグレートシージ(大包囲戦)の名場面を描いた欄間絵などがあり、一見に値します。廊下に並ぶ中世の甲冑もすべて本物です。

国立考古学博物館 National Museum of Archaelogy

16世紀のマルタ騎士団のプロヴァンス地方出身者の宿舎を利用した建物です、紀元前5200-2500年のマルタ考古学上とても貴重な遺物を展示しています。中でも未だに多くの謎に包まれている地下神殿ハイポジウムから発見された「マルタ・ヴィーナス」は、大変貴重な女体の形をした出土品です。

マヌエル劇場The Manoel Theatre

ご希望の方は、オペラや音楽会にご案内いたします(実費にて)。


青の洞窟 Blue Grotto

マルタ島にも神秘的な青の世界を体験できる洞門があります。小舟に乗って小さな洞門ををいくつも巡ると、海に光が反射してエメラルド・グリーンやダーク・ブルーに輝き、美しい色彩が楽しめます。


ゴゾ島 Gozo

牧歌的で自然豊かなマルタ島の姉妹島です。マルタ島とゴゾ島は距離こそは近いものの、地元でもマルタ人、ゴゾ人とお互いを言い分けるほど島の個性がはっきりと分かれています。マルタ島から終日観光で訪れます。

ヴィクトリアの大城塞 シタデル The Citadel

ゴゾ島の中心地ヴィクトリアに聳えたつ要塞。現在、美しいゴゾの景観を楽しむビューポイントの1つとなっています。1551年ゴゾ島が海賊に襲われ、多くの島民が連れ去られたという悲しい歴史がありますが、その際、シタデルは島民の避難場所、攻防の場所としての役割を果たしました。

ゴゾ大聖堂 The Cathedral

シタデルの要塞の中に建つ大聖堂。外観はシンプルな造りですが、内部は赤と金色の煌びやかな装飾が施されています。建築当初は天井にドームを造る予定でしたが、資金不足で困難になり、苦肉の策として中から見上げると天井がドーム型に見えるよう、騙し絵が施されました。

ラムラ湾 & カリプソの洞窟 Ramla Bay & Caplypso’s Cave

マルタ語でラムラハムラ(赤い砂)と呼ばれるラムラ湾は、名前の通り赤い砂が特徴の美しい砂浜です。ビーチを見下す高台には、ホメロスの2大叙事詩のひとつ「オデュッセイア」にてオデュッセウスが美しい妖精に7年間引きとめられたといわれているカリプソの洞窟があります。洞窟内は現在立ち入り禁止ですが、洞窟の上からは眼下に広がるラムラ湾と青く輝く地中海の景色が一望できます

ジュガンティーヤ神殿 Grantija Prehistoric Temple

マルタに現存する神殿群の中で最古であり、また世界的にも一番古いといわれるジュガンティーヤ神殿(紀元前3600年頃)。全長6m、重量約20トンの石で建造されており圧倒されます。伝説に語られる通りにまさに巨人が造った神殿といえます。神殿内も見学が可能です。[世界文化遺産]

タ・ピーヌ教会 Ta’ Pinu

「奇跡の教会」と呼ばれるこの教会は、1833年に教会の近くを通った農婦が聖母の声を聞いた後、人々の病気を治したといわれています。教会内部には奇跡の声によって命を救われたといった内容の感謝の手紙が壁を埋め尽くしています。教皇ヨハネ・パウロ2世もこの教会広場にてミサを行いました。

ゴゾ・チーズ Ġbejna


名物のゴゾ・チーズと野菜もパイもご用意しました(イメージ)。


巨石神殿 タルシーン神殿 Prehistoric Site Tarxien Megalithic Temple

ハイポジウム近くのパオラという町の真ん中にある、1914年に農民によって偶然発見され巨石神殿です。マルタには現在約30基以上の巨石神殿が確認されており、タルシーン神殿やゴゾ島のジュガンティーヤ神殿など6ヶ所が世界遺産に指定されています。タルシーン神殿は、紀元前2800年頃の4つの神殿からなります。タルシーン神殿からは約2.75mの巨大な石を使った彫刻“Fat Lady”が、上半身が欠けた状態で発見されました(神殿内のものはレプリカ)。壁および祭壇にしばしば見られる渦巻き模様の装飾は時間と永遠の象徴であるとされています。タルシーン神殿から発掘された出土品は国立考古学博物館でご覧いただけます。


マルタ島の魅力的な地方都市 Countryside Towns on Malta

古都イムディーナ Silent City Mdina 

イムディーナは、ヴァレッタが築かれる以前のマルタの首都です。当時は貴族を始めとして多くの人々がこの町に住んでいましたが、首都の移転に伴い、人が少なくなったこの町は、いつからか「静寂の町」と呼ばれるようになっていました。中世の趣を色濃く残す古都イムディーナは、一歩路地に入ればひっそりと静まりかえり、“静寂”が広がっています。カフェ、教会、貴族の館、眺望が楽しめる広場などを散策しながら中世の雰囲気に浸ってほしい町です。

聖パウロと地下墓地の町 ラバト Rabat

イムディーナの町の外はラバトと呼ばれる地域があり、活気あふれる庶民的な生活が伺えます。ラバトの町の地下には巨大な地下墳墓(カタコンベ)が広がっていて、聖パウロの地下墳墓や聖アガタの地下墳墓もあります。また、聖パウロ教会の礼拝堂には、パウロがローマへ向かう際に船が難破し、マルタに漂着した際に避難し、布教にも使われたと言われる聖パウロの洞窟があります。

聖パウロのカタコンベ

聖パウロの洞窟

絵画的な漁村 マルサシュロック Marsaxlokk

カラフルで伝統的な漁村です。「ルッツ」と呼ばれるマルタの伝統的な小舟が湾内に浮かび、赤、緑、青、黄色を使った鮮やかな配色が地中海に映えて、なんともフォトジェニックです。地中海のシーフード料理を目当てに立寄る観光客も多くみられます。船乗りたちの村であるため、聖母教会の屋根にはルッツに乗った聖母像が佇んでいます。湾を沿うように伸びる半島にはセントピーターズ・プールという天然のプールがあります。

マルサシュロックでは、名物の「タコのトマト煮」をご賞味ください(イメージ)。

セントピーターズ・プール


マルタ料理 Maltese cuisine

地中海の中心に位置するマルタは海の幸はもちろん、眩しい太陽の下で育ったトマトやオリーブオイルをたっぷり使った絶品グルメが目白押しです!マルタの魚は、脂がのっていて肉厚なものが多いのが特徴です。お隣のイタリタとは一味違った独特のパスタを使ったマルタ料理は絶品揃いです。ツアーでも各種料理をご用意させていただきました。

シーフード・パスタ(イメージ)

ブラジオリ Bragioli

みじん切りにした玉ねぎ、ソーセージ、にんにく、トマトなどをまとめて薄い牛肉などで包み、軽く焼き、煮込んだもの。


(イメージ)

マルタ名物アリオッタ Aljotta

地中海でとれたエビ、タコ、ムール貝などを炒めた玉ねぎ、ガーリックと刻んだトマトと合わせて煮込んだ魚介スープです。お皿によそってから仕上げにレモンをキュッと絞って頂くこのスープは、濃厚な魚のうまみがとても美味しい、シーフード好きの日本人にはたまらない一品です。

(イメージ)

ティンパーナ Timpana

トマトソースのマカロニをパイ生地で包んで焼いたもの。

(イメージ)


スリーシティーズ The Three Cities

スリーシティーズは、ヴィットリーオーザ、セングレア、コスピークワという3つの町の総称です。1530年、聖ヨハネ騎士団がマルタ島に本拠地を移転した際、当時のマルタの首都イムディーナが内陸に位置している事から、近い将来起こるであろうオスマン・トルコ帝国との戦いに備えて、十分な防衛対策を取るために海沿いの漁村ビルグ(現ヴィットリーオーザ)に本拠地を構えることに決め、村に要塞を構えました。その後、隣のサンジュリアーノと呼ばれた島に当時の騎士団長クロード・デ・ラ・セングルの名前に由来するセングレアという町が造られ、多くの人々が住み始めました。1565年オスマン・トルコ軍との大包囲戦で勇敢に戦ったビルグとセングレアの住民を称え、ビルグにはヴィットリーオーザ(勝利の町)、セングレアにはインヴィッタ(無敵の町)という名誉ある名前が騎士団により与えられました。また、2つの町の中間にはボルミアと名付けられた町が建設され、やはり、人々の勇敢さが称えられ、コスピークワ(顕著な町)という名前が与えられました。騎士団はこれら3つの町を巨大な防御壁で囲みました。ヴァレッタ建設後、騎士団の本拠地はヴィットリーオーザからヴァレッタへ移りますが、3つの町にはその後も航海のための拠点として造船所や武器庫が置かれつづけました。騎士団がマルタから撤退した後、イギリス支配の時代にもイギリス艦隊の地中海の本拠地であったグランドハーバーと共に発展を遂げましたが、大戦中に敵国から度重なる砲撃や爆撃を受けることとなってしまいました。戦後の大規模な修復により、今は美しい佇まいを取り戻しています。

マルタ騎士団最初の城塞都市 ヴィットリーオーザ(ビルグ) Vittoriosa(Birgu)

路地裏散策を楽しむならヴィットリーオーザの路地裏は外せない。石畳の細い路地には所狭しとはちみつ色の建物が並びます。建物の建材は全てハニーカラーのマルタ・ストーンで統一されています。家々は、窓の色やドアノブ(魚の形をしていたり手の形をしていたり)、プランターなどでそれぞれ個性を強調し、壁を這うツタ、階段に無造作に置かれた植木、車の上で寝そべる猫など、全てが美しく調和していて、独自の空間を作り上げています。まるで物語の中の一角にでも迷い込んだかのような路地散策中では、騎士団の紋章『マルチーズ・クロス』が入った騎士団ゆかりの建物にも出会えます。

日本海軍慰霊の碑 British Navel Cemetery

ヴィットリーオーザの東隣りの半島のカルカーラに、「大日本帝国第二特務艦隊戦死者の碑」があります。第一次世界大戦時に日英同盟の盟国イギリスのために地中海に派遣された日本人海兵約70名の慰霊碑で、英連邦海軍墓地内にあります。こちらの墓地にはイギリス、日本の他にもフランス、ドイツ、イタリアの戦死者が弔われています。墓地はマルタ政府によって管理されており、いつ訪れても綺麗に手入れされています。


マルタは人懐っこい猫の島💛