2020/10/12 Column
ピエロ・デラ・フランチェスカ 『聖十字架伝説』(アレッツォ)

2020/10/12 Columnピエロ・デラ・フランチェスカ 『聖十字架伝説』(アレッツォ)

イタリア・トスカーナ地方の美しい中世都市として知られるアレッツォ
この町のサンフランチェスコ教会には、キリスト教の聖人伝説を確固たるものにした書物『黄金伝説』に登場する聖十字架伝説の美しいフレスコ画が残されています。
「聖十字架伝説」を手掛けた初期イタリア・ルネッサンスの巨匠としても名高いピエロ・デラ・フランチェスカは、人生の大半を生まれ故郷のトスカーナ州で過ごし、数多くの作品を手掛けてきました。遠近法と陰影法を駆使して築いた彼の絵画様式は、後のルネッサンス絵画に多大な影響を与えたとされています。
キリスト教の歴史を語る上で欠かすことのできない黄金伝説とは、13世紀のジェノバの司教ヤコブス・デ・ウォラギネが書いた聖人の伝記集で、数多くの聖人等の奇跡や伝道の物語が100以上も登場します。イエスを取り巻く最も近い弟子たちの話はもちろん、中世の時代に登場する聖人をも網羅した聖人伝の決定版とも言える有名な書物です。
そしてこの中に、イエスがゴルゴタの丘を歩いた際に背負った十字架の木の物語「聖十字架伝説」が登場します。イエスが地上に誕生する遥か昔、人類の祖とされるアダムからイエスの死、そして中世へと連綿と続く壮大な聖木伝説のフレスコ画は必見です。またピエロ・デラ・フランチェスカは、聖十字架伝説に普遍性を持たせるため、大天使ガブリエルより聖母マリアがイエスを身ごもることを伝えられる「受胎告知」も、ここに描き加えています。
是非一度、世界で唯一ここでしか見ることができない長編大作「聖十字架伝説」をアレッツォでご鑑賞ください。

アダムの死
アダムが重い病気になったとき、息子のセツは地上の楽園の門へ行き、「父の体に塗って病気を治したいから」と言って、憐れみの木の油を分けてくださいと頼んだ。
すると、大天使ミカエルが現れて「憐れみの木の油を手に入れようとするのはやめなさい。また、そのことで泣くのもやめなさい。憐れみの木は5500年が経過するまでは、あなたに与えられないのです」と言った。
大天使ミカエルはセツに小枝を一本与えて、これをレバノンの山(パレスチナ北部を南北に走る山列。レバノンとアンチ・レバノンの両山脈から成り、巨大な香柏の森林で有名。ソロモンが建てた神殿や宮殿の建材はここから運ばれたとされる)の上に植えなさいと命じた。
ミカエルはアダムが罪を犯す原因となったエデンの園のリンゴの木の枝(あるいは種子)をセツに与えて「この小枝が実をつければ、あなたの父は健康な体に戻るでしょう」と言った。
さて、セツが家に帰ってみると、父アダムはすでに死んでいた。そこで、父の墓の上に小枝を植えた。小枝は成長し、大木となり、その木はソロモンの時代まで生き続けた。

シバの女王の聖木礼拝
ソロモン王はこの木の見事な枝ぶりを眼にとめ、これを切らせて「レバノンの森の家(ソロモン神殿の武器庫)」の建材に使わせようとした。
ところが、この木は家のどの部分に使おうとしても寸法が合わなかった。
これに腹を立てた大工たちは、この木を使わないこととし、ある沼にかけて、人が通る小橋にした。
ソロモン王の知恵を噂に聞いたシバの女王がこの沼を渡って王を訪問しようとしたときのこと、女王はその心眼で、世界の救い主がいつかこの木に架けられることになるとこを見抜いた。そこで、この木を踏みつけて渡るのは恐れ多いと思い、その場に跪いて、うやうやしく拝んだ。


(シバの女王の聖木礼拝)

ソロモン王とシバの女王の謁見
ソロモン王との謁見の際に、シバの女王は橋に使われていた木の話をした。そこでソロモン王は、この木を地中深くに埋めさせた。
それから長い年月がたって、木を埋めた場所の上に、神殿に仕える僕たちが犠牲獣を洗う池が掘られた。すると、池の水が噴きあげてきて、万病に効くようになった。

聖木の十字架へのイエスの磔刑

コンスタンティヌス帝の夢
この聖木は、イエスの受難後二百年以上も地中に埋もれていた。
その頃、ドナウと呼ばれる川の対岸に蛮族の大群が終結し、川を渡って、遠くアジアにいたるすべての国々を席巻しようとしていた。皇帝コンスタンティヌスはこれを知ると、軍を進めて、ドナウ川のこちらの岸に陣を張った。
しかし、蛮族の軍勢はしだいに数を増して、ついに川を渡り始めた。コンスタンティヌスは、憂色を深めた。次の日の合戦は必至と見てとったからである。
しかし、夜になるとひとりの天使があらわれ、彼を起こすと「空を見上げなさい」と言った。見上げると、天に明るい十字架が見え、その上に金色の文字で「このしるしをもって勝利を収むべし」と書かれていた。
皇帝は、この天上の幻影に百万の味方を得た思いがして、天空に見えたのと同じ十字架をつくらせると、これを軍勢の先頭に押したて、敵に向かって馬を駆った。すると敵兵はことごとく背を見せて逃げ出し、大勢が殺された。
そのあと、皇帝は偽神の祭官たちを呼び集めて、これは神のしるしであるのか熱心に尋ねた。

(コンスタンティヌス帝の夢)

コンスタンティヌス帝のマクセンティウスに対する勝利
ローマ帝国の統治権をめぐって、第二副帝コンスタンティウス1世の息子コンスタンティヌスは、第二正帝マクシミリアヌスの息子マクセンティウスと雌雄を決する「ミルヴィオ橋(ミルウィウス橋)の戦い」に臨む。
マクセンティウスがローマ帝国へ侵入したとき、コンスタンティヌスは内心の不安に落ち着かず、助けを求めるように何度も天を仰いだ。
夜になると東の空に、光り輝く十字架のしるしが見え、天使が現れた。
次の日の夜は、前夜空に見たのと同じしるしを持ってイエスがご出現した。
そのしるしを持ち、神に祈ることで、マクセンティウスは自分が仕掛けた罠にはまり、コンスタンティヌスはその戦いに勝利することができた。
その奇跡的な勝利ののち、コンスタンティヌスはローマ新皇帝となる。

ローマのキリスト教公認

真の十字架の発見と証明、ユダの拷問
熱心なキリスト教徒だったコンスタンティヌス帝の母ヘレナは、聖十字架を探すため、エルサレムへと出かけた。
そこにいたユダヤ人たちにイエスが十字架に架けられた場所はどこにあるかと訪ねた。しかし彼らはその場所を教えようとはしなかった。
そこでヘレナは、「このユダヤ人どもを残らず火あぶりにせよ」と言いつけた。怖くなったユダヤ人たちは、ユダという男を引き渡した。
そこでヘレナは、他の者は帰らせ、ユダひとりを残してこう言った。「生きるか死ぬか、あなたの心次第ですよ。主が十字架に架けられたゴルゴタという場所を教えてください。わたしは、主の十字架を探しているのです。」
ユダは、「どうしてわたくしがそんな場所を存じておりましょう。あれ以来もう二百年以上の年月がたっておりますし、当時わたくしはまだ生きておりませんでした」と答えた。
「十字架に架けられた方にかけて誓いますが、あなたを飢え死にさせますよ。でも、本当のことを教えてくれたら、命を助けてあげます。」ヘレナはこう言って、ユダを涸れた井戸に投げ込み、食べ物を与えないで干ぼしにさせておくようにと言いつけた。
ユダは、六日の間、何も食べずに井戸の中にじっと寝転がっていたが、ついに七日目、「どうかここから出してください。そうすれば十字架のありかを教えましょう」と言った。
彼は井戸から引き上げられると十字架が埋まっている場所に出掛け、そこで祈り始めた。すると、たちまち大地が振動し、妙なる香りの煙があたりにたちこめた。ユダは手を合わせて仰天し、「まことにイエスさま、あなたは救い主でいらっしゃいます」と叫んだ。
ところで、この場所にあったのは「教会史」によると、女神ウェヌスの神殿であった。ハドリアヌス帝が建立したものである。キリスト信者がここに来て祈るとウェヌス女神を拝んでいるように見える。これが、帝の狙いであった。それから、だれひとり参詣する者もなく、ほとんど忘れ去られたようになっていた。
へレナは、このウェヌス神殿を根こそぎ破壊させ、あたりの地面を鎌や鍬で掘りかえさせた。こうして下準備ができると、ユダは体に縄をぐるぐる巻きつけて、力をふりしぼって地中を掘っていった。すると、地下二十歩のところに、三つの十字架が埋まっているのが見つかった。彼はすぐさまそれを吊り上げ、へレナのものに運んで行った。
ところが、三つの十字架のうちどれがイエスの十字架で、どれがイエスと一緒に処刑された二人の強盗のものであるかは見分けようがなかった。
それで三つの十字架を町の真ん中に置いて、主が御力を示されるかどうか待つことにした。
すると、午後三時ころ、死んだ若者を運ぶ葬儀が通りかかったので、ユダは棺を止めさせ、最初の十字架と二番目の十字架を死者の上に置いた。
しかし、死者は少しも動かなかった。ところが三つ目の十字架を置いたところ、死者はたちまち生き返った。

ヘラクリウス帝とホスロー王の戦い
ペルシャ王であるホスローがエルサレムへと攻め込み、聖十字架を奪い去る事件が起こる。
これを知ったローマ帝国皇帝ヘラクリウスは、ホスロー王を攻め、聖十字架の奪還に成功する。
戦いに敗れたホスロー王は改宗を拒否したため、容赦なく斬首された。

ヘラクリウス帝のエルサレム入城
皇帝ヘラクリウスは聖十字架を元の場所へ戻すために、エルサレムに入城しようとすると、城門の上に天使が現れ、「主キリストはかつてこの門を通って受難の地に赴かれる時、慎ましくロバに乗り、質素な衣類に身を包んでおられました。」と諭された。
皇帝は乗っていた愛馬から下り、靴を脱ぎ、豪華な衣装をいっさい脱ぎ捨てて、聖十字架を高く掲げながら入城した。それを見たエルサレムの市民たちが皇帝一行を歓迎した。